こんにちは。
今回は「昭和な学習指導は時代遅れか?」というテーマでお話ししたいと思います。
まずはそれに当たって、私が考える学習法を2つ記載します。
①.新しく出てきたものを覚える、或いは使いこなすため繰り返し練習をする。
②.新しく出てきた原理原則を理解するため、実際の問題を解き身についているか確認する。
ここで言いたいことは次の2点です。
A.学習には「頭に叩き込なないといけないもの」「理解していないと使えないもの」がある。
B.それぞれには習得するのに適切な学習方法がある。
ところで読者の皆さんは「昭和な学習指導」というとどのようなイメージがあるでしょうか?
「無理やり勉強をさせる!」「出来るまで食事なし!」「出来なかった英単語テストを100回書いて復習させる!」
・・・と「理不尽極まりない」学習指導法を考える方が多いのではないでしょうか?
上記の例でいえば①がこれに当たるかと思います。
確かに②のような「原理原則」の取得には「数をこなす」学習よりも、「理解度を深める」学習が適しています。
しかし、①のような「覚える」「使いこなす」べきものは、最初の段階で頭に叩き込まないと「使い物にならない」のです。
当塾が家でのルーティーン学習として「英語教科書の音読」「新出単語の予習」「英単語テストの練習」「英語・数学の学習プリントの復習」を課しているのにはそのような理由があります。
また、英単語テスト・教科書の音読などを通して、それが知識として身についているかも次の授業で確認しています。
さらに単に「数をこなす」だけでなく、生徒さん自身が個人的な目標を定めて学習するようにという話もしています。
中日ドラゴンズで名将と言われた落合博満氏は、あるインタビューで
「春季キャンプで、投手が投球練習をするとしても、昔のピッチャーは『アウトコース低めへ100球』とテーマを決めたら、それが出来るまでは練習を上がらなかった。
でも今の投手は『今日は100球』と決めたら、どこに投げても100球で終了。これじゃあ技術的な差は縮まらないよね」と話をしていました。
さて、当塾の「音読10回」というのが「そんなにやんなくても十分読めるよ」というのであれば5回でも問題はない訳です。
確かに自分に新しい知識やそれの使いこなしが出来たら「今日の勉強は終了!」でもいいのですから。
しかし、逆に言うとそれが出来るまでは妥協しないことが必要になります。
例えば「英単語テスト」の準備をしているときにどうしても覚えきれないものがあるような時・・・
そこで妥協するのも一つですが、「音読練習は5回だったから、こっちは完璧にしなくっちゃ!」と練習するのが最良なのは言わずもがな。
まもなく新学年を迎える人がほとんどですが、この1年間なるべく妥協せずに学習に取り組んではいかがでしょうか?